映画「豹変と沈黙ー日記でたどる沖縄戦への道」_公式HP

東京・新宿 K's cinema 2025年8月16日㈯~8月29日㈮ 公開

イントロダクション

  「戦後80年」…アジア太平洋戦争の記憶を思い起こすことがより求められる節目の年です。
 「豹変」とは、日本兵が戦場で人間性を損なわれ、望むと望まないにかかわらず“人間兵器”へと仕立て上げられていった姿を表しています。
 「沈黙」は、戦後、元日本兵らが口を閉ざしたこと、“豹変”の欠片を胸に秘めて生きることになった戦後の日々などを表しています。
  元日本兵本人が存命で直接インタビューができる時代には、戦中日記はさほど注目されなかったかもしれません。あまりに過酷な体験であり、また 緘口令があって戦争について多くを語らなかった体験者がほとんどです。日記は元日本兵たちの知られざる一面を浮かび上がらせる社会的な財産なのです。

  本作はどこにでもいたごく普通の日本人が、兵士として体験した戦場の一端を描いています。生と死は紙一重、首斬りなども行われた異常な戦場…
  果たして中国をはじめアジアの戦場で何があったのか。戦中日記を丁寧に読み解くことで歴史の真実に迫ろうと挑戦したのが、この新作ドキュメンタリー映画です。
※本編: 104分
※本作には差別表現もありますが、当時の実態を伝えるため言い換えなどはせず、そのまま表現しています。

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予告編 _ 監督メッセージ 

※予告編は上の画像をクリック!!

  本作は、トライアンドエラー(=試行錯誤)から生まれた作品です。トライの一つが『戦中日記』への着目です。日記は、軍幹部や政治家のそれではなく、名もなき『一兵卒』のものを取り上げました。おそらく家庭では「良き息子」「良き夫」であった庶民が軍に徴集され、日本兵へと仕立て上げられていった過程を追いました。
  トライアンドエラーのエラーとは、出兵した世代とその息子や娘の世代では記憶の“断絶”があり、戦場体験者不在のいま、彼らの思いに肉薄することは難しく、踏み込みが浅くなってしまうことです。2世にいくらインタビューをしても五里霧中になることが多いのです。
  父親が亡くなった後、息子や娘が遺された日記に関心を寄せるのは稀で、目も通さずに古物商に流している例もあります。しかし私にとって、戦中日記との出会いは新たな地平を開いてくれました。 万年筆の文字が静かに伝える戦場のリアルがありました。戦争が人間的な営みで、生身の人間が感情を伴って行うものであることを教えてくれました。戦中日記は戦場で書かれた一次資料であり、貴重な一級資料です。
  私はこれらの日記を“社会の記憶” として歴史に刻みたいと、この映画に挑戦しました。  (監督 原 義和)

写真:田中信幸さん
父は 1937年8月、熊本13連隊から中国に出兵。戦後、父と対話を続けた

(映画本編より)
◆ナレーション:学生時代の1972年、田中さんは沖縄返還に反対するデモ闘争に参加し、逮捕されます。その獄中から、父親に手紙を出します。
◆インタビュー:「あなたが参加した戦争は侵略戦争だったんではないかと、丁寧に書きましたけれども。保釈されて家に帰る機会を捉えて、父親にいろいろ問いかけていくということが始まったわけですね」

写真:山本敏雄さん
父は 1937年9月、鯖江36連隊から中国に出兵。父が持ち帰った陣中日記を大切に保管

(映画本編より)
◆ナレーション:敏雄さんは、大人になってからも父・武と同居し、戦争の話をよく聞いたと言います。
◆朗読:見る見るうちに、戦友は倒れていく。ああ、なんたる悲惨なることぞ。
◆インタビュー:「同じ突撃の仲間たちも、ばたっと即死で死んでいく。そういう死にざまを見ていて、すごい復讐の念が燃えるもんだと(父は言っていた)」

寄稿:仲里効さん(映像批評家) 

静かに、烈しく、痛い 
  ー 戦後80年の風景が変わる  
  日本の〈戦後〉は、敗戦を抱きしめ、稀に見る経済発展と虚像の「平和」の内に引きこもり、それゆえにタブーを自らつくってしまってきたのではないか、そしてそのことがアジア太平洋戦争の罪責から眼を逸らし、耳を塞いできたのではなかったのか。

  見終わったあと、心身の深みに刺さってくる痛覚をともなってやってきた感想である。その意味でこのドキュメンタリーは“やっかい”な映画になっている、ということなのかもしれない。あえてそういうのは、戦争の罪責を不問にすることなく、“あの戦争”を“この戦争”に、“かれらの戦争”を“われらの戦争”にしていく、困難な分有への問いかけと探訪の試みになっているからである。

  監督の原義和は、そうした “やっかいさ”に分け入っていく映像の求道者の一人である、と間違いなくいうことができる。その求道はしかし、外に向かうというよりもむしろ内へ、わたしたちの内部に封印され吹き溜まっている暗がりへとまなざしを向けていく。
 (全文は映画パンフレットに掲載)

寄稿: 具志堅正己さん
(南京・沖縄をむすぶ会代表)

  信隆叔父さん、あなたの姉の息子です。わたしは戦後生まれなので、あなたには写真でしか逢っていません。あなたのことは、わたしの祖母も母もほとんど何も話しませんでした。ただ、母があなたは本が好きで、よく読んでいたと話していたことは憶えています。
  あなたはなぜ日中戦争の真っ只中の1940年に、上海の同文書院に入ったのでしょう。母はあなたをこの大学を薦めたのは自分で「信隆が死んだのは私のせいだ」と悔やんでいたのを憶えています。 

  信隆叔父さん、あなたの帰りたかった沖縄は、いままた日本という国の戦時体制の最前線に立たされています。米軍と旧日本軍を骨太のバックボーンにした自衛隊が一体になって、射程距離2000㌔のミサイルも配備する軍事要塞化が進められています。 

 万が一にも中国と戦争になったら、ここ沖縄だけでなく、間違いなく日本のほとんどの市民が被害者になるだけではなく、中国にとっては加害者になります。わたし/たちは、加害者にも被害者にもなりたくありません。

(全文は映画パンフレットに掲載)

寄稿:伊波敏男さん(作家)

  わが国の歴史を振り返れば、徹底した忠君愛国教育で「東亜共存共栄」の皇旗の下に、国民を総動員した。親愛なわが祖父や父たちは、徴兵され兵士となり、戦地では、人倫の規を失い豹変し、殺し、犯し、破壊など暴虐の限りを尽くした。

  地球という星では、今、至る所で、国家・宗教・民族対立による殺し合いや破壊が続いている。戦禍による犠牲は、固有名詞のない数量の多寡だけで論ずるべきでない。命の尊厳は、常に一人称で語るべきである。
  今、特に一部の政治家が、沖縄戦史を歪曲し、歴史の見直しを叫びはじめている。だからこそ、余計に、わが国の過ちの歴史を、次世代がバトンタッチできるためにも、映画「豹変と沈黙」を観ることをお勧めしたい。

寄稿: 川満彰さん

(沖縄近代史家/沖縄国際大学非常勤講師)


  平穏な暮らしのなかで過ごす私たち人間の本性・残虐性は、普段はどこに潜んで、どのように浮遊しているのだろうか。
   沖縄県国頭村出身の金城信隆さん(1923年生まれ)は、上海にあったアジア最高学府とも言われた東亜同文書院大学へ入学した。信隆さんは書院で中国語を徹底して学び、日中友好のかけはしになることを志す一方で、日本軍へ憧れ「靖亜の士を志す」(1941年11月28日付)という希望を持っていたと記している。しかし、正義心で描いていた「靖亜の士」は、戦場で女性や子どもたちを突き殺す自らを曝け出した。戦場では人間の本性、人間味を失った醜く、悪鬼の部分をさらけ出さないと立っていられないからである。
(全文は映画パンフレットに掲載) 

寄稿: 落合恵子さん


 いつ、どこで、どのようにして、人は「自分」になっていくのだろう。わたしはわたしになってきたのだろうか。それは、完了形であるのだろうか。それとも、その先のある幾十幾百もの明日に続く道程であるだろうか。『豹変と沈黙』を観ながら、しきりにそんなことを考える。 
 あなたにも考えていただきたい。あなた自身が自分だと考え、周囲もそう認めている自分像は、真実、自分であるのだろうか。平穏な時には、そうであったとしても。有事に「豹変」する自分を裡に秘めていまを生きているのだろうか。
 本編に登場する日記の書き手である青年たち。誰かの息子や誰かの夫、誰かの兄や弟、いとこでもあるひとたち。もの静かな学徒が、穏やかではにかみやの青年が、いつ、どこで、どのようにして、今までとは違う自分になるのか。自分の裡にいた別の自分を表に導き出すのか、を。
 激しい憤り。凍える孤立感。拭いきれない深い悔い。交互にやって来る人間への激しい否定と僅かな肯定。言葉にならない酸鼻な体験を何度となく重ねる中で、自分が考えている自分そのものが破壊され、予想もつかない自分になっていく怯え。
 その、「ありありとした実感」にひとは圧倒され、沈黙を強いられる。
(全文は映画パンフレットに掲載) 

寄稿: 村上有慶さん 

(戦跡保存全国ネットワーク運営委員)

  

 この映画の前半は、普通の「良い人」が侵略する戦場で人間性を奪われて行く状況を見事に描いている。後半は、本人の記録には、結局のところ加害性の部分など『空白』が多くあることや、それが“嘘”とも言える部分につながってしまう危うさを浮き彫りにしている。戦後世代が侵略戦争の歴史的事実を元にして分析し、批判的に見ることの大切さをよく描いていると思う。

 その危うさは、沖縄県民にとっても同様である。南京大虐殺の実行者であった牛島満が司令官となり、中国で慰安所設置や住民総スパイ視を行った長勇が参謀長となって沖縄へやってきたという日本軍の本質を、住民の体験証言から批判してきたのが、沖縄における戦場証言の基本的性格だった。しかし、 この間に沖縄で起こっている事態からは、沖縄県自らが「慰安婦」の存在を打ち消し、日本軍による「住民虐殺」をなかったことにしてしまう重大な意識の変化が見られる。その変化の上に、米軍基地の存在を肯定し、自衛隊基地の拡大を容認する政治状況が進み、若者を中心とする多数がそれを後押しする状況ともなった。沖縄戦の事実が歪められる事態が大きく進行している。体験者の想いに頼らずに、平和資料館での活動や戦跡保存で語ることの本質を、もう一度考え直す時期に来ていると言えるだろう。 

本作についてのお問合せ

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ⒸYoshikazu Hara2025

スタッフ・キャスト
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出演: 橘内良平、宮城さつき、西尾瞬三
書: 西端峰苑
ナレーション: 相沢舞
音響効果: 北條玄隆(TSP) 
スタジオ:  ヨコシネディーアイエー
美術協力: 兵士・庶民の戦争資料館
ヘアメイク: 内間加奈子
構成: 秋山浩之
監督, 撮影, 編集: 原義和